庭が日本の未来を拓くのシンポジュームに行かさせてもらいました。
場所は山陽新聞本社ビルのさん太ホールにて行われました。
こんな感じの建物で全体が緑に包まれていました。
エントランスには、みんなで作った版築風のブロックを重ねたものに、
紅葉やシャシャンボ、季節の花(萩やススキ)を雑草を植え込んでありました。
1日で無くなるには、もったいないような風景でした。
開催されたのは岡山創庭塾の皆さんで、坂本さん河手さん内海さんが中心になって動かれていました。
本来、百人百庭と言う本が作られて、本になるだけじゃなくて、
これをきっかけに一人一人出来ることを実践して行って、
今までの庭といった概念を超えた表現が出来るようになればといった思いから庭連 日本を紡ぐ会が生まれ。
今回は2回目の庭連のシンポジュームといった内容で、このイベントが行われたようです。
(個人的な見解なので違っていたら指摘ください)、自分は庭連にも岡山創庭塾にも参加はしていないのですが。
友達が参加されていて、ちょっとだけお手伝いをさせてもらいました。
シンポジュームの内容も面白かったのですが、このイベントを作り上げる過程やみんなの熱気が、本当に良かったです。
普段一人で作業してあまり周りとも交わらないのですが、
いろいろな人が色々な形で協力していく凄さ、思いやり、気遣いなど、改めて感じれて良かったです。
最後の武部さんの、みんな自然は癒しと言われているが、実際は大自然を目の前にすると恐怖の部分が多い、
恐怖な存在の緑だからこそ身近に置いて、人間は、偉ぶらず謙虚に無理なく自然とバランスをとって
生きていけるのではないかと思うと話されていたのが印象的だった。
気になったキーワードとして
グレブさんの、もっと日本人は議論出来る国民になったほうがいい、そうじゃないと力を持った人のいいなりになってしまう。
庭って必要のないものなんですよ、緑も歌も絵画もなくったって生命に危険は及ばない、でも無ければ生きていく事ができない存在
豊藏さんの、昔の庭師は枯山水的なデザインを施して雨仕舞いを作っていた、雨が大量に降ったり、水が庭に流れ込んでも家だけは守るぞ、といった心意気で一部を深く掘り砂利で仕上げ、自然に水が抜ける仕掛けを作り砂利で枯山水風に隠してあった事が当たり前になっていた、実際自宅にもこれがあるが、実際に役立ったとの事。
庭師が自らの殻から出ようとしていない、庭師でしかできない事は沢山あるはずなのに自ら閉ざしている、何もできてない。
阿部さんの2件なり数件の共同の庭を作り上げる事で、自然と安全な遊び場とコムニティースペースを作り上げる話
長谷川さんの、お家を建てる際に家の向きはどうですか、風は入りますか、
日当たりはどうですかといった話は必ず出るのですが、その窓から何が見えますか?
と聞かれるお客様は、おられ無いとの話。
高校生の質問 ある日の学校帰りに土手を歩く家族を見ていた時に夕陽と家族の雰囲気と風景が全く一つの無駄のない完璧な風景を体験しました、皆さんのそういった完璧な風景の記憶を教えてくださいといった内容でした。
今回のシンポジュームで思った事は、すくなくとも、みんな近い感覚で同じような経験を経て、
同じような矛盾も抱え、それを解決したいと思ってここに集まって、
それぞれの方法や受け取り方で表現が
100人100通りの現実を経験し決定している進行形なんだなと実感としてグッときました。
世界中で色々な問題とされるものも山積みで、最近は50年に一度と何度もニュースで流れてくる。
何回も繰り返し50年に一度って言っとる実はこれからのスタンダード(当たり前)、そろそろみんなちゃんと準備して行かんと、船は出て行ってしまう。
自分なりに漕いでみよう、今日は船出だ。